システムオリジン前社長・清野吉光氏がオーナー兼取締役の
クリアフィールドが静岡の駿河交通(21両)全株式を取得
長引くコロナ禍の影響を受け、IT新世代にバトンタッチ

2021年2月1日付・第509/214号

【静岡】タクシー専業のソフトハウスである株式会社システムオリジン前社長の清野吉光氏が取締役を務める株式会社クリアフィールド(静岡市清水区、社長=息子の清野大樹氏)は1月18日、株式会社駿河交通(静岡市駿河区、小澤誠司社長)の全株式を取得した。社名は変更せず、現在、本社営業所がある駿河区で営業を続ける。

コロナ禍を受け、タクシー業界だけでなく、日本のみならず、世界中の生活様式が一変した。そうした中、タクシー事業の譲渡譲受にも変化が見られてきた。今回の駿河交通の株式譲渡もその一例と言える。

駿河交通の前身は東海タクシー。昭和40(1965)年に小澤さんの父が東海タクシーを譲り受け、名称変更した。当時の配置車両数は27両だったが現在はタクシー特措法に基づく減休車措置を実施したことなどから21両になっている。1995年に小澤さんが代表取締役社長に就いた。資本金は1000万円。

小澤さんが入社した当時は、夜の繁華街からの電話を受け、無線配車による営業を行っていた。小澤さんが社長就任した直後にバブル経済が崩壊、さらに2008年に世界を震撼させたリーマンショックが追い打ちをかけた。さらに、小澤さんが社長に就任した頃に官官接待が廃止となり、数十件あったクラブが2、3件を残すのみとなってしまった。

駿河交通の得意先は、こうしたクラブやパブ、スナックなど、かつては飲酒を伴う飲食店が600件余あり、夜10時から翌3時の営業でかなり稼げた。夜の営業主流の会社と昼の営業主流の会社という住み分けができていたので、昼の顧客は少ない。運転者の減少を食い止めるため、新聞に求人広告を出したりしたが、この10年近くはほどんど来なかった。

本紙は1月19日、駿河交通本社営業所で、小澤誠司氏、清野吉光氏、清野大樹氏に、譲渡譲受の経緯について聞いた。

小澤 やはり、会社を手放そうと決意したのは、昨年11月末から12月にかけて到来したコロナ第3波が原因でした。それまでは、12月には良くなると期待していました。それが、前年比で半分以下になってしまいました。

静岡では、運賃改定は昨年2月に実施されましたが、あれは大失敗だったと思っています。計算上の増収率は7~8%でしたが、いざ、蓋を開けてみると2月は微増に留まりました。3月はコロナの影響をまともに受けましたから、前年対比はできませんでした。

4~5月は、ガクッと落ちました。もう、こんな状態で行ったらダメかな、と思いました。5割を切り、雇用調整助成金等の申請を行いました。

この辺は商業地で、企業は三菱があります。顧客は、そこの営業社員、工場関係者、飲食の人が主で、夜の利用が多かった。夜の仕事は、実入りが大きかったのですが、それが落ちたのが大きかったですね。観光の利用はあまりありませんでした。

そこで、1勤4休、1勤5休のシフトに切替え、休ませた運転者には、雇用調整助成金をあてました。けれども、その運転者も行くところがありません。健康で元気な人が月に20日も休む、ということになるので…。

その後も、9月ぐらいまで、雇用調整助成金をいただきながら、少しずつ動かしました。1日の出勤を5~6人に減らし、そのくらいで回せば何とかなるだろうと思っていましたが、何ともなりませんでした。静岡では、大手もまだ雇用調整助成金をもらいながら回していました。そして、9月の実績では、7割ぐらいまで回復したので、この調子で暮れまで行けば、何とかなるかもしれないという明るい兆しが見えてきました。

4~5月のどん底から上がってきたので、これなら何とかなるかな、あともう少しだな、と思っていましたが、それも10月まで。11月から少し落ち始め、これから忘年会シーズンというところで落ちてきました。そのときはもう、心が折れました。

そのときに、清野さんからお声がけをいただき、もう、これからは私の時代ではないと思ったのが今回の株式譲渡譲受のきっかけとなりました。

清野(吉光) そのときには、昨年、大阪のタクシー問題を考える会(講演と討論会の模様はYouTubeで公開。ヤフー、グーグルなどのウェブサイトから「大阪のタクシー問題を考える会」で検索)で講演させていただいた内容を話しました。もう、大上段に振りかぶり、タクシーという産業の生産性の低さを根本的に変えていかないとダメということを話しました。

今、コロナ禍の中なので、タクシー業界もたいへんな状況ですが、それなら、コロナ禍が去れば、どうなるかというと、やはり、今、タクシーが抱えている問題は解決されないだろう。そこに手をつけなければいけないのではないかと思いました。

静岡は、たまたま、そのようなところに手を付ける条件が揃っていたので、それを是非、やりたいということを訴えました。そのためにも、駿河交通さんの経営をやらせていただき、静岡市のプラットフォームを作る必要があります。

具体的には、共同の配車電話受け、スマホアプリ配車、車載端末も作り、そのプラットフォームで、地域全体でスムーズな配車を行うということです。そのためには、配車効率を上げなければなりません。人材も、今はなかなかフルタイムで働ける運転者を集めるのはたいへんです。コロナ禍なので、以前よりはタクシー運転者をやりたいという人が来るようになったということは聞きますが、人手不足で稼働が少ないという課題は解消されていません。

その辺の解決として、サブジョブドライバー、タクシー乗務を副業とするドライバーをうまくマッチングできる仕組みをITで作りたい。それには、構想を口にするだけでなく、実験が必要です。しかし、実験にはリスクがついて回るので、自分たちが責任をもってタクシー経営ができるようにしないと、という思いもありました。また、静岡には、私がこの間まで社長をやっていたシステムオリジンのユーザーが多いですから、そうした事業者さんにリスクを伴う実験をしてもらうのもどうか、とも思ったのです。

そのようなプラットフォームを作れば、一方で、静岡MaaSの動きがありますので、ラストワンマイルをタクシーが担うことも可能になります。その突破口というか、きっかけになればと思っています。

こうした構想に、小澤さんは共感していただけました。これは、将来に向けて明るい話題なので、協力させていただけるということで、譲渡を了承していただきました。それは、私にとっても、ありがたいことで、小澤さんとは、顧問契約をして、今後も協力していただくことになっています。

小澤さんの息子さんは、30歳と若いので、小澤さんの後押しもあり、引き続き、取締役を務めていただくことで了承していただきました。先ほど申し上げた構想に、一緒に挑戦していただくことになりました。

小澤 清野さんは、よく知っている人で、信頼できる人でした。私が経営していけば、古いやり方になり、それではダメなんだと。新しいやり方で、新しい人材にしていかないと、駿河交通は、あと10年経っても、今のままで何も変わらない。もっと変わった感覚で、運転者さんにも訴えていかなければならない。それなら、清野さんの考えに乗った方がいいだろうという気持ちになりました。

このコロナで苦しいときに手を挙げていただいた清野さんにお願いしたい、ということになりました。たまたま、1月18日は大安でいい日ですので、早い目に着手していただいた方が、いろいろな形でやっていただけるだろうと思いました。

清野(大樹) これまでは、他の事業を行っていたという関係もあり、タクシー業界はあまり知りません。これから、いろいろなことを学んでいこうと思っています。私は静岡から20歳で出て行きましたので、帰りたかったという気持ちもありました。東京では、タクシー乗務の経験はありましたが、アルファードを使ったその他ハイヤーの乗務でしたので、ギャップはありました。でも、8割ぐらいは、尊敬する父の夢に乗っかったという形です。父は、システムオリジンの社長をやっていたときには、息子は入れないと言っていたので、まさか、このような形で一緒にやれるとは思っていませんでした。

仕事の関係で、しばらく中国にいましたが、2016年に日本に戻ってきました。この1、2年に父と一緒に仕事ができる状況になってきたので、嬉しくて仕方がありません。私以外にも妹が取締役に入りました。妹は海外留学をしていたので、英語が達者なんです。私は中国語ですが…。そうした強みを生かしたいと思っています。

今、東京など大都市圏のコンビニには、外国人が働いていますよね。それと同じように、タクシーも将来的には、そのようになるのではないかと思えてきました。人材募集も昔はスポーツ新聞などに求人を乗せていましたよね。でも私は、そうした求人欄で来た人は、正直、採用する気持ちはなく、SNSの求人広告を見て応募してきた人を採用していきたいと思っています。東京では、そうした会社はありますが、地方では、まだ、やってみないと分からない状況なんです。

また、アフターコロナを睨み、旅行業も含めて、準備を進めたいと思っています。インバウンド対応も含めてやっていける運転者さんを作りたいなと思っています。

写真:上=時代を感じさせる駿河交通本社営業所の社屋 5年後、どう変わっているだろうか
  下=左から、清野大樹・駿河交通社長、顧問に就任した小澤誠司・前社長、親会社・クリアフィールド取締役で、システムオリジン前社長の清野吉光氏