《人気コラム》
植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録22」

「多田・薬師寺論争で初めて知ったこと」

2011年11月28日付 第187号掲載

創業5周年の記念社説から、同じく創業10周年の記念論説を2回にわたって、くどくどと書いてきたが、筆者の約半世紀にわたる記者生活で最大の出来事は、やはり多田・薬師寺論争ではなかったか、と思う。

それまで一読者として知っていたに過ぎない薬師寺薫氏と懇意になったのは、筆者が多田・薬師寺論争で、薬師寺氏を支持したことが機縁である。『トラモンド』の前身である『交通界速報』にも、薬師寺氏の発言を支持する記事が増えている。

このほど薬師寺氏の手になる「『反省勧告書と諸参考』全批判」が、旧版に若干の企画物を補強して新版として出されることになった。旧版は今から約30年前に出されたものだ。

それまで、大阪タクシー業界に絶対者として君臨していた相互タクシーの多田清氏は、「オレがあれほど協力してやったのに敵方につくとはケシカラン」と、筆者にカンカンだった由。毎日のごとく記者会見し自分の主張を説明していたが、筆者の取材には一切応じなかった。

新聞は送り続けていたが、新聞代はもちろん広告料など従来支払っていた金銭は、ビタ一文払わなくなった。相互タクシーの紹介で協力していただいていた広告スポンサー筋にも「支援するナ」という指示命令を出していたもようである。

しかし、オットドッコイ、そうは問屋がおろさない、ものである。薬師寺氏の論舌があまりにも鋭いことと、それを支持する事業者も次第に増えていったからだ。大阪タクシー金曜会と称する薬師寺支持派の組織も立ち上がり、「ワンマン」「天皇」と呼ばれてきた多田氏の業界支配は揺らぎ出したのである。薬師寺氏とも、この論争を機に筆者との関係は次第に深まり、一緒に食事をしたり、一杯お酒を飲む機会が増えてきた。

天皇と言われ、大阪タクシー業界を支配していたワンマン多田清氏に、論争を挑んだ薬師寺氏の“論理と根性”に、筆者は完全にイカレテしまったのである。それまで薬師寺氏をほとんど知らなかった筆者は、はじめて薬師寺氏の人間像を理解したのだった。いま刷り上がった新版の「『反省勧告書と諸参考』全批判」のゲラ刷りなどを見ながら、改めて薬師寺氏の頭の回転の速さに恐れ入っている。

新版には、さくらタクシーの泉成行氏が「わたしの薬師寺薫論」と題する論文を寄稿している。その中で、泉氏は「薬師寺氏は業界ナンバーワンの頭脳を持っている」として「頭の良さ」を褒めあげている。

筆者は泉氏の意見に全く同感だ。むしろ、そのことを指摘する人が今まで、この業界になかったことが不自然なのだ。読者は新版をよく読んでもらいたいものである。(以下次号に続く)