《人気コラム》
植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録23」

「“多田語録”は記者冥利に尽きる!」

2011年12月5日付 第188号掲載

いわゆる多田・薬師寺論争は、単に大阪業界の紛争にとどまらず、全国タクシー事業者の最大の関心事に発展していった。

筆者が設立したトラモンド社は当時、九州から北海道に至る主な都市に支局を設置して、文字通り全国紙に発展していた。筆者が各地の支局を訪ねると、その地域の業界幹部らから「薬師寺薫とは、どんな人物なんだ」といった質問を受けることが多くなってきた。

全乗連などの幹部連も大阪に来ると、ユタカタクシー本社を訪ねたり、薬師寺氏と直接連絡を取り、食事をしながら歓談することが増えてきた。その代表例が、全乗連副会長を長く務めていたイースタンモータース社長の高木正延氏ではないか。筆者も一、二度高木氏が来阪した時、薬師寺氏らと一緒に北新地などでご馳走になった。

多田氏が大タ協第23回定時総会における自分に対する批判的発言を『薬師寺理事に対する反省勧告書と諸参考』と題する小冊子にまとめ、これを大タ協会員事業者に配布した。これに対し薬師寺氏が「『反省勧告書と諸参考』全批判」と題する反論冊子にまとめ関係方面に配布した。この二つの小冊子論文が全国各地のタクシー事業者に大きな反響を呼んだのである。

一方は、「多田天皇」と呼ばれ「タクシー王」と称され、大阪業界に絶対者として君臨してきたグループ企業総資産数千億円を自称する人物。一方は、全く無名の若き挑戦者だ。

各地域の質問者の大意は「あの有名な相互タクシーの多田清氏に論争を挑む薬師寺薫という男はどんな男なのか。あまり聞いたこともないが、どれほどの規模をもった、どの会社の役員なのか」ということに尽きる。要するに当時、薬師寺氏は全国の事業者にとって、ほとんど無名に近い事業者だったのだ。

それらの質問に筆者は「現在の事業規模は確かにそれほど大きなものではありませんが、近いうちに事業規模も拡大していくと思いますよ。事業者団体でも会長や理事長などといった役職にはついていませんが、そのうち必ず名前が出てきます」と答えたものである。

これらの質問を受けた後、薬師寺氏は現に、大タ協会長をやり、近畿ハイヤー・タクシー協議会会長、全乗連副会長などを務めている。また、事業規模も今では関西中央グループで1000両を超すタクシー保有台数を持つ大手事業者になっている。

晩年、多田氏は「自分のタクシー人生で最大の錯誤は植田を敵方に追いやったこと」と側近重役たちにもらしていた由。側近重役からこの話を聞かされたとき、筆者はシテヤッタリといった感慨を抱いた。まさに記者冥利に尽きる“多田語録”という次第だ。(以下次号に続く)