《人気コラム》
植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録20」

「白洲次郎並みのレッテルに感謝!」

2011年11月14日付 第185号掲載

前回、グーグルでもヤフーでも結構。植田耕二を検索してもらえば「従順ならざる唯一の業界紙」としてトラモンド紙の休刊挨拶が文字通りトップで出ていることを報じ、筆者自ら至極ご満悦の体をみせた。

自分のブログで、トラモンド紙の休刊を惜しんでくれた人は、どんな人なのだろう、と筆者の興味はつきない。敗戦後、しばらくして登場した内閣総理大臣・吉田茂。ジャーナリズムからワンマンぶりを批判されていた吉田の側近、英国のケンブリッジ大学の留学中にものにした英語で当時の支配者、マッカーサー連合国軍最高司令官総司令部のスタッフと渡り合い、マッカーサー側近から「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれていた白洲次郎をもじって、「従順ならざる唯一の業界紙」という言葉が出たものに違いない。

果たして白洲次郎のことを知っているバス・タクシー業界関係者が、どれぐらいおられるか知らないが、本紙の読者の中にグーグルやヤフーを検索してくれた方が何人いるだろうか、そのことに筆者は大いに関心がある。

最近、白洲次郎やその細君だった白洲正子のことが書かれた書物や雑誌の特集記事がワンサと出てきている。

昭和天皇までもマッカーサー詣でをしなければならなかった当時のことを考えると、連合国最高司令官たちを相手に、縦横無人に接触していた彼のことを書いたものを、筆者は昔も今も興味深く読んでいる。白洲次郎につけられた修飾語をもじってトラモンド紙につけられた「従順ならざる唯一の業界紙」のレッテルに無上の誇りを感じるユエンである。

昔のことではなく、トラモンド紙が休刊の挨拶を出したのは今から3年前の話。交通産業関係者を読者対象にしている業界紙は10種類以上ある。その中に読者から、そうしたレッテルを張られる可能性のありうる新聞が果たしてあるか。

休刊挨拶を出してからいろいろな人から「惜しいことだ。私が手伝うから再刊してくれませんか」という電話が何件もあった。そのたびに「ありがとう。だが、小生は、この歳で取材活動を続けることは困難。期待に応えられません」と断ってきた。

かつて運輸局に勤めていたことのある人から「局長や自動車部長の後任者への引継ぎには、必ずトラモンド紙の話が出ていて、要注意の新聞はここぐらいです。あとの新聞は心配要りません。と、あなたの新聞の話が必ず出ていましたよ」という話を聞いたことがある。

筆者のことを悪くいう人もあるが人生いろいろ、人間もいろいろ。様々な評価があっていい。失敗は成功の母という諺を頭において今後も物書き業を続けてゆく積りだ。(以下次号に続く)