《人気コラム》
植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録16」

「離党しても百八十度裏返ることはなかった! 」

2011年10月17日付 第181号掲載

前回コラムで筆者の共産党員時代の極左運動体験を初めてオープンにした。離党することになったが「ハイ、さようなら」と単純にはいかない。したがって自分の人生を賭けて運動に入った、かつて左翼運動の体験を持った人たちの体験談などを書いたものを、あちこちから借りたり、買ったりして読んだものだ。

戦前、国家権力の弾圧と「転向」を強いられた人たちの記録ものや、共産主義運動に疑問を抱き苦悶の末、自主的に転向していった人たちのものを古書店などで買ったり、友人から借りたりしたものが、ほとんどだ。

筆者が離党してしばらくしてから鶴見俊輔らの「思想の科学研究会」の人たちが、大分な『共同研究・転向』上・中・下の三部作を上梓した。しかし、それらのものは転向者の事例を運動の外側から見た「転向」論が主だった。運動の外から見れば、そんなものだろうと、それなりに得るものがあった。

強い関心をもって読んだものは、党組織内の中核部分にいて国家権力の強制ではなく、自主的に党活動から離れていった人たちのものである。転向してからマスコミやジャーナリズムの世界に入っていった人たちも沢山いる。

その代表例が『産経新聞』を前田久吉から買い取った水野成夫ではないだろうか。非合法の共産党の中央委員までやった人物である。それに同調した人の中には脱党者や脱シンパの人たちも、かなりいたはずである。

また『読売新聞』の渡辺恒雄も学生時代は、チャキチャキの党員だった。今は読売の会長か、名誉会長のような地位をかちとり、読売ジャイアンツだけではなく、いたるところに口を出し大きな影響力を保持している。ナベツネ周辺にも元党員だった人たちが多数いたはずだ。

水野と渡辺の二人だけのことを書いたが、日本の財界には同じような経歴の持主の人たちが多数いる。これらの人々が今の自民党や民主党などによる、保守政治を支えているのである。

戦後文学に巨大な影響力をもった『近代文学』同人の平野謙、本多秋五、埴谷雄高などもかつての非合法時代の共産党員か、その同調者だった。これら同人たちは戦後、それぞれ独自の思想的立場を取り、共産党とは一定の距離を保持しながら、敗戦後の困難な時代を生きていた。

筆者は、これらの人たちの書くものを、片っ端から読んでいった。離党したとは言え百八十度裏返る必要性はみじんもなかった。平野謙、本多秋五、埴谷雄高らの影響を受け、離党後の人生を生きていった。激しい共産党の活動から離脱して、苦しみ悩みながら今日まで生きてこられたのは、これらの人たちの思想的恩恵を受けたからにほかならない。(以下次号に続く)