《人気コラム》
植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録13」
「心底からサーさんに泣いて感謝の気持ち!」
筆者とサーさんとの永い付き合いのなかで、いきなりひび割れが生じてしまったことは前回に書いたとおりである。お互い知り合ってから10年ほどの間に、いろいろな出来事を飛ばして前回のコラムを走り書きした。今回は、サーさんがまだ枚方樟葉に引っ越してきていない頃のこと。筆者の父が亡くなった。やはり相談するのは業界人のなかでは、サーさんぐらいだった。お互い私生活の大部分を見せ合っていた仲だからである。
わずかな貯金しかない筆者は、まずサーさんに貸しているお金の返済を求めなければならない。当時、筆者の記憶では3、4千万円余を担保なしで貸していた。「親父が死んだ。葬式をしなければならない。葬式当日までに貸した金を返済してほしい」と言うとともに「喪主になって葬式をするのは初めて。葬式するのはどうすればいいのか具体的に教えて欲しい」と相談を持ちかけた。サーさんは「葬式にはそんなにお金はいらないよ。とりあえず500万だけ持っていく。葬式はウーさんの親しい公益社の久後(治之助)さんに相談しなさい。あなたはじっとしていればよろしい。あとはすべて公益社がやってくれるはず」という答え。サーさんに貸した金は、サーさんのタクシー会社買収資金の一部になっていた。
「ご近所へのあいさつ、親しい人への通知はどうすればいいの」と聞くと「すべて公益社が教えてくれる。ウーさん、あんたはそれを忠実に実行すればいいだけだよ」と言う。当時、筆者はトラックの新聞も出しており大阪の葬儀屋の大手、公益社の久後専務と親しかった。久後さんに相談すると「ウチは京都には店がない。しかし、自分の親しい京都の公益社に頼んでみよう。心配はご無用だ。何から何まで手配し、面倒見るように頼んでおいてやる」と筆者の目の前で電話してくれた。
相手の答えはマル聞こえだ。「解りました。お相手さんは、どの程度の費用を考えておられますか」と問っている。久後さんは「中程度で結構。できるだけ安くしてやって」と費用のことまで値切ってくれている。感謝、感謝である。「具体的なことは担当者が来るからナンでも聞きなさい。親切に教えてくれるはず」と言う。サーさんの言う通りだった。
サーさんは、お葬式はいつ出すことになるかと聞く。「明後日だ」と答えると、「当日の関係者の送迎はすべてウチのものがやるよ。タクシーは20台用意しておく。雑用のお手伝いも2、3人よこすから心配いらん」と、初めての葬儀に心そぞろの筆者を大いに励まし、支援を惜しまない態度だった。サーさんに泣いて感謝の意を伝えたいと思ったことを今でもはっきり覚えている。(次号へ続く)