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植田耕二氏著「ハイタク記者半世紀回想録11」
「タクシー業界で最初に親しくなった事業者」
多田清氏一族のことをあれこれ書いてきたが記者生活半世紀の回想録に帰ることにした。一口に半世紀といっても山あり谷ありだった。いや、喜びも悲しみも人一倍味わった。
今から約40数年前、この仕事を始めて最初に親しくなったのは三菱タクシーオーナーの笹井寛治氏だった。今、未来都を名乗っている会社のオーナーだ。当時、本社事務所は北区の神山町から浪速区の大国町にあった全自交会館の二階に移っていた。筆者の事務所に毎夕のごとく訪ねて「ウーさん、一杯飲まんか。いいところを見つけたから行ってみようや」といった調子で笹井氏は筆者を誘うのである。当時筆者は、これといった料理屋もバーも知らなかったから笹井氏に誘われるままにミナミの宗右衛門町界隈や北新地のバー・スナックを「サーさん」と一緒に飲み歩くのだった。
全自交会館を取り仕切っていた全自交大阪地連書記長の岡本頼幸氏は「アンタとこの副社長。一昨日も昨日も来てましたね」と笹井氏をわが社の副社長呼ばわりして記者を冷やかすのだった。当時はまだ三菱タクシーと改名していなかった。多分「城東交通」と「大安交通」という33会と35会に所属する新免事業者だったはずだ。「いやー、大して用事もないのに来るんだよ。もっぱら飲み仲間。副社長とはとんでもハップン」と岡本書記長に答えたものだ。
しかし、飲むだけでなかったことも事実である。「ウーさん、あの会社売るんじゃない? オレ買うから世話してよ」と売りの噂が出ている会社を名指しし筆者に仲介依頼するのだった。そうして記者の仲介でM&Aをたちまち2、3社お世話することになった。買収資金が足りないときは「ウーさん、あんた3千万ぐらいの金はあるだろう。少し貸してよ」と言い仲介者の筆者に買収資金の一部を貸してくれというのである。「あんたに貸すようなお金はありません」と答えると、「相互タクシーの多田氏は貸してくれんかね」と言う。笹井氏の頼みを受けて相互タクシーの市田実二郎専務に話すと「誰かね。一度会いましょう」となった。笹井氏を伴って市田専務に会うと市田氏は笹井氏に「いくらいるんですか。貸しますよ。とにかくお宅の会社の全株券を担保に持ってきてください」と言う。
笹井氏は「解りました」と答えたと同時にあうんの呼吸で「帰ろう」というサイン。そそくさと相互タクシー関目本社を出ると「あれだから多田氏は信用できん」と言う。「オレの会社を乗っ取ろうというのが丸見えだ」と言う。「貸した金に担保を求めるのは世間一般大いにあり得る話」と言っても市田専務をハナから信用しない笹井氏だった。(以下次号に続く)