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植田耕二氏著「直球・曲球」

「多田氏のお墓はどちらが本当?」

2011年8月29日付 第174号掲載

相互タクシーの多田清氏一族のことは、前回でピリオドを打つ予定だったが、書き残したことをいろいろ発見した。ここにそれを書き足し本当の終わりにしたい。それは小野幸親氏や多田精一クンが言うところの「多田清の遺言」と称するものが、果たして本当の遺言だったのか、どうかがはなはだ危ぶまれるからである。

関係者に聞くと、「遺書」を見たものはいないし、あるとしても意識が明瞭なときに多田清氏が自ら書いたものなのかどうかも不明だ。何千億円の遺産を誇示してきた多田清氏が、なんらの「遺書」も残さず、永遠の眠りにつくとは、筆者には考えられない。

多田清氏の葬儀は平成3年8月25日、勝山市の大師山清大寺大仏殿で執り行われた。喪主は多田精一クンと多田氏の親戚一同となっていたが正妻の多田幸さんや木下健三氏、大橋一夫氏ら主な親戚は一切排除されていたのである。

親戚一同とは、要するに小野幸親一氏に組する一派に限定されていた。葬儀委員長には、勝山市長の今井三右衛門氏が名前を連ねているものの、葬儀は完全に小野幸親氏の思惑通りに取り運ばれた。そうして多田氏の遺骨は清大寺に葬られることになった。

幸夫人は、多田氏の生前、親鸞聖人700回忌の記念行事の際、浄土真宗本願寺派に350万円を寄付した後、墓地を購入したことを思い出し、ある人を通じ「あの件はどうなりましたか」と本願寺派の大谷本廟に問いただされた。その結果、「墓地は多田さんの方から申し出があり解約されました。しかし、必要なら再度墓地を探しましょう」という答えが返ってた。結局、東山五条上の西大谷墓地に分骨が葬られた。

「一度関目まで遺体を帰らせて!」の悲願を無視した小野幸親氏に恨み骨髄の多田幸夫人は、勝山の葬儀から排除された前田重俊氏や吉村良吉氏、真野平八郎氏の創業以来の相互タクシー重役らを含め関係者一同が西大谷墓地に参集、盛大な納骨法要が営まれた。多田氏の本当の墓地はどちらかは小野氏との関係で完全に見解は対立することになる。(以下次号に続く)