《人気コラム》
植田耕二氏著「直球・曲球」

「相互タクシーグループはどこへゆく!」

2011年7月4日付 第167号掲載

“タクシー王”と言われた相互タクシーの多田清氏が380億円と言う巨額の資金を投じて建立した奈良の東大寺の大仏を超える大きさを誇る越前大仏。勝山市長自らが会長を買って出て「越前大仏を守る会」のような市民組織を作り、多田氏を有頂天にさせるだけでなく、勝山市民あげての大仏歓迎ムードは、いまや完全に雲散霧消しているようである。そうして越前大仏は、門前街には参拝者もなく、建立前後の賑わいは後影もなく、巨大な廃寺になり果ててしまっている。

越前大仏建立当時、多田清氏と小野幸親氏が並んで得意満面の表情でいろいろな会合に出ている写真が掲載されている何十年前の福井新聞社刊『越前大仏』という分厚いPR本を自宅の書庫から探し出して、その当時のことを思い出しながら、この原稿を書いている。もし多田清氏が生きていて、この越前大仏の惨状を見たら「どう思うか」と想像するとともに、この惨状に落としいれた越前大仏の事実上の管理責任者だった小野幸親氏は「その責任をどう取るのか」と興味は尽きない。

ここで問題にしたいのは、越前大仏と同じく多田清氏が育て上げた相互タクシーグループの現状とその行く末である。あの資産数千億と言われた相互タクシーの前途は、果たして越前大仏同様、廃業状態に陥るのではなかろうか? 相互タクシーの元幹部などに聞くと、みな口を揃えて「なりかねません。多分そうなりますよ」と言う答えだ。いろいろな関係者に取材すればするほど、多田氏が豪語していた巨大な資産はどこに消えたのだろうか、という不信感が募るとともに筆者も「相互タクシーグループの前途はなきに等しい」と確信するに至った。

往年の相互タクシーは、国内、国外を問わず多数のタクシー関係者が見学に訪れ、当時の幹部はその対応に追われていたものである。“タクシー王”とまで言われた多田清氏が作った相互タクシーが、いままさに風前の灯火となりつつある。事業は人なりと言うが、まさに相互タクシーの現状は、その言葉を証している。(次号に続く)