《人気コラム》
植田耕二氏著「直球・曲球」

「多田精一クンとの初めての出会い!」

2011年6月6日付 第163号掲載

前号では相互タクシー社長である小野幸親さんのことを書いたが前社長の多田精一クンのことは何も触れていない。多田精一クンは多田清氏と小野幸親さんとの間にできた子供である。多田清氏の正妻だった多田幸さんには不幸にして子供はできなかった。“精力絶倫”だった多田清氏は幸さん以外の多くの女性の間に、かなりの子供をもうけている。いわゆる庶子といわれる人たちだ。筆者が知り合った人だけでも数人はいる。一番古いところでは友人の絵描きから紹介された女性である。

「キミはタクシー関係の新聞を出しているから紹介しておこう。彼女は相互タクシーの社長さんの娘さんだ」と自分の個展会場にいたある女性を紹介してくれた。筆者は「多田さんにお世話になっています」と言い自分の名刺を出したことを覚えている。友人によると今は鎌倉に住んでいるという。

その次に知り合ったのは現在、神戸相互タクシー会長をやっている木下健三氏だ。同時期に堺相互タクシーにいた大橋一夫氏にも会った。一番あとで知ったのは相互タクシーと京都相互タクシーの社長だった多田精一クンである。たまたま筆者が京都相互タクシー本社を訪問したら全自交労連の金良清一書記長の紹介で同社の取締役に就任していた某氏(名前を失念した)が「あなたが植田さんですか。金良クンからもあなたのことは聞いていますし、あなたの書かれたものも良く読んでいますよ。いまうちの社長が来ていますから紹介致しましょう」と言い、多田精一クンを連れてきたのだった。

目の前に現れたのは純朴そのものといった感じの青年社長。筆者は「お宅の多田清社長にはお世話になりながら、いろいろご迷惑もおかけしてきました。なにぶんよろしく願います」と平凡なあいさつを交わした。そのあと某氏が「この新聞は全国のタクシー事業者がみな読んでいる新聞。あなたも勉強しなさい」と大いに筆者を持ち上げ紹介してくれた。これが多田精一クンとのたった一回の出会いである。以後、社長を降りたか、降ろされたか?して現在にいたるまで一度も会っていない。